モラロジー青年活動ネットワーク

<報告>クリーンキャンペーン in 対馬

この度、『国境の島』対馬におきましてクリーンキャンペーンin対馬を開催させていただきました。対馬では現在、中国や韓国からの漂流ゴミが西海岸へ大量に漂着し大きな環境問題になっています。今回、クリーンキャンペーンを通じて青年の皆様に対馬の現状を知って頂ければと思いご案内させていただきました。

当日は福岡からの参加者と地元からの参加者14名で対馬の小茂田浜(蒙古襲来時の激戦地)の清掃を行いました。清掃場所は、ごろごろとした石の海岸で足場が悪い中での作業となりました。漂着ゴミは中国語や韓国語で書かれたペットボトルや漁業用と思われる発砲スチロール、魚網などが大半でした。冷蔵庫も数台ありました。冷蔵庫は内側に断熱材として発砲が入っているから流れ着くようです。2時間の清掃活動で1トン袋15袋分の漂着ゴミ、2トン車山盛り2台分が集まりました。足場の悪いこともありかなりきつい作業になりました。しかし、全ての漂着ゴミを清掃することは到底出来ません。大量のゴミは数キロメートルに渡り漂着しています。数ヶ月前に別の団体が清掃活動をした所でありながらこの状況です。ただ現状を知ることにより我々自身がゴミを捨てないことと、それを清掃することで心の修養の場となれば幸いと思い開催させて頂きました。皆さんゴミの量に驚かれていた様です。対馬でも昨今、韓国の大学生やボランティア団体による清掃活動が盛んに行われています。この様に中国や韓国の方に現状を知って頂き少しでも漂流ゴミが減ることを切に思っています。

午後からは、対馬の豊かな自然を体感して頂きたく、リアス式海岸が美しい波の穏やかな浅茅湾でシーカヤック体験をしました。ほとんどの方が初体験で横転しないかと少し心配もしましたが、コツを掴むと皆さんとてもお上手でスイスイ進んで私が着いて行くのもやっとでした。途中、防人が常駐していた金田城(山城)も海の上からしか見ることのできない角度で見学することも出来ました。目的地でありましたミョウバン島(浅茅湾の中央に位置する周囲約300m位の無人島)では、コーヒー豆を石で砕いて火を焚き美味しいコーヒーと対馬名物の「かすまき」を頂きました。そこでガイドの方がその島の漂着ゴミを見ながら、「確かに中国、韓国のゴミは多く対馬に漂着していますが、日本のゴミはハワイなどに漂着しているんですよね。お互い様なんです。だから私達がやらないといけないことはそれを責めることではなく、ゴミを捨てないこととゴミを拾うことなんです。」と言われた時、私はハッとしました。心の修養とは言いながらもどこかで中国と韓国を責めていました。「お互い様」という言葉を聞いて今までの自分を大変恥ずかしく思いました。確かにお互い様かもしれません。日本人の中にも海にゴミを捨てる人はいます。私も昔は捨てたことがあります。やはり一方的な責める心はいけないなと改めて痛感しました。私達はその無人島の漂着ゴミもカヤックに乗る量だけですが清掃をして島を出ました。このカヤック体験で自然というものの素晴らしさと新たな気付きを頂きました。自然の素晴らしさを知っているからこそ、愛しさと感じるからこそ、環境に対する想いが芽生えてくるのだと思います。その素晴らしさを知らないと何を守るのかもわかりません。夜、非日常を体験した私達の心は晴れ晴れとして、交流会も随分と盛り上がりました。

翌日は、福岡県青年代表者会議を美津島事務所で開催し全国青年大会in四国の件などを中心に話し合いをしました。その後、対馬の歴史を学ぶということで対馬の歴史家の小松津代志先生をお招きして「対馬の防人」についてお話を頂きました。お話しは、対馬の防人が果たした役割などを紹介しつつ現代の国境における防衛と友好的交流の重要性を語られました。午後からは、海上自衛隊横の韓国資本による土地の買収問題で新聞、雑誌で話題となった真珠養殖跡地に出来た韓国のリゾートホテルを視察して来ました。小松先生にもご同行頂き、説明を頂きました。確かに海上自衛隊の真横に韓国風の宿泊施設があり異様な感じはしました。先生の説明では、残念ながらこの一件に関して国が動くことはないだろう。とおっしゃっていました。自衛隊を監視しているようには見えませんが安易にこのような状況を作られることは問題だと思いました。そして寂しく思うのは、その施設内に平成2年天皇、皇后両陛下が長崎県を行幸啓の折、真珠工場にお立ち寄りになった「行幸記念の碑」があることでした。韓国資本の土地の中に皇室の記念碑があるのは、なんとも言葉では言い表せません。韓国との友好が言われていますが、竹島の問題も含め諸問題が解決していないのに真の友好的関係が作れるのか少し疑問に思います。

その後、先日のシーカヤックツアーの折に海から見た金田城(山城)に登りました。金田城築城の歴史は今から1,300年以上さかのぼります。660年、唐・新羅の連合軍の攻撃によって百済は滅亡しました。日本は百済復興のため、663年に大軍を派遣し、唐の水軍と錦江の河口付近で戦いましたが、大敗し朝鮮半島から撤退しました。(白村江の戦い)その結果、唐・新羅の来襲に備え防備を整える事が急務となりました。大和朝廷は665年に大野城(福岡)、基肄城(佐賀県)、長門城(山口県)を667年に高安城(大阪府・奈良県)、屋島城(香川県)、金田城(対馬)を築き国土防衛の備えとしました。国防の最前線に位置する対馬の金田城は、重要な役割(見張り、通信)を担っていました。有事の際は煙を上げて危急を知らせる通信施設でもありました。対馬から壱岐へそして大宰府まで通信体制が確立されていました。金田城は明治時代まで軍の施設として使われています。頂上には砲台跡があります。また、頂上からは浅茅湾が一望でき、確かに見張り場所としては最適だと認識することができます。ただ、それだけに頂上まで行くのに皆さんかなり疲労されていたように見受けられました。(笑)

今回、クリーンキャンペーンを対馬で開催して頂き、我々対馬に住む者にとっても始めての体験や多くの気づきなどを頂くことができました。このキャンペーンに参加して頂いた方と物心両面においてご協力頂きました全ての方に心から感謝いたします。ありがとうございました。

美津島事務所青年代表 佐伯 卓也